わずか数センチの「死に地」が命取り。不動産会社ひとり社長が経験した、契約白紙の悪夢

「一人社長」という響き、いいですよね。
自由で身軽で、すべての決断が自分次第。 でも、それがとんでもない「落とし穴」になることがあります。

今回は、独立して間もない小さな不動産会社のひとり社長が経験した、胃のあたりがキュッとなるような、ある「うっかりミス」のエピソードです。
同業の皆さんなら、「あぁ、その状況、わかる気がする……」と共感していただけるかもしれません。

不動産エピソード3

「自分なら一人で何でもできる!」

独立して自分の看板を掲げると、最初の数ヶ月は妙なテンションになるものです。
営業、役所調査、契約書の作成、そして案内。すべてを自分一人で完結させている実感が、「自分はデキる」という錯覚を起こしてしまいます。

その時の物件は、郊外にある築30年の中古戸建てでした。
売主様は高齢で施設に入られることになり、買主様は「自分たちで少しずつDIYを楽しみたい」という、非常に意欲的な30代のご夫婦。

条件交渉もスムーズに進み、売主・買主双方の「想い」が通じ合った、まさに不動産業冥利に尽きるような良縁になるはずでした。

忙しさが招いた、あるまじき思考停止

不動産業界の人間にとって、市役所や法務局での調査は日常茶飯事です。
道路判定、用途地域、越境の有無……。 「いつものように」資料を揃え、「いつものように」重要事項説明書を作っていきました。

ただ、その日は少しだけスケジュールが詰まっていたんです。 夕方に別の物件の撮影予約が入っており、私は少し焦っていました。

物件の前面道路は「42条1項5号道路(位置指定道路)」。 公図を見て、位置指定の図面も取得した。 「よし、道路はクリアだ」

……そう、この「クリアだ」と思った瞬間に、悪魔が忍び寄っていたことに気づきもしませんでした。

契約当日、運命の15分前

契約は、買主様のご自宅で行われることになっていました。
私は早めに到着し、近くの喫茶店で最終チェックをしていました。

重説を読み返している時、ふと資料の端に挟まっていた古い「公図」が目に入りました。 そこには、位置指定道路の終端部分にほんの数センチだけ、見慣れない地番が・・・

「ん? これは何だ?」

嫌な予感がして、タブレットで法務局のデータを急いで叩き起こしました。 ……指先が少し震えたのを覚えています。 その数センチの隙間は、かつての分譲主が「将来の私道負担の調整用」として残していた、第三者名義の「死に地」だったのです。

つまり建前上は接道しているように見えて、物理的にはその数センチの「他人の土地」を跨がなければ敷地に入れない。通行掘削承諾どころか、そもそもそこが「道路」として一体化されていない可能性が浮上したのです。

「プロ」が「素人」に論破される瞬間

契約の席につき、和やかな雰囲気の中で重説を読み上げました。
しかし、私はその「数センチ」のことが気になり、説明の声が心なしか上ずっていました。

そして、その時はやってきました。 DIY好きで、建築基準法についても少し勉強されていたご主人が、図面を指差してこう言ったのです。

「社長さん、この道路の突き当たりのところ、隣の家との境界杭と位置指定のラインが、微妙にズレてませんか?」

一瞬、時が止まりました。
私は「あ、そこは誤差の範囲で……」と言いましたが、ご主人の目は真剣でした。
「誤差の範囲?ここがもし他人の土地だったら、将来建て替える時にセットバックや接道で揉めませんか? 本当に大丈夫ですか?そこ、しっかりと確認をしてください!」

ご主人の言葉が、鋭いナイフのように刺さりました。 私は正直に、15分前に気づいた事実とまだその所有者への確認が取れていないことを白状しました。

案の定の「契約破棄」

結局、その日の契約は延期。 必死でその土地の所有者を辿り、承諾を取り付ける目処を立てましたが、1週間後、ご主人から一本の電話が入りました。

「すみません、今回の件は白紙にさせてください。社長さんのフットワークの軽さは魅力でしたが、大きな買い物をする側としては、やっぱり実績のある会社さんにお願いしようと妻と話し合ったんです。」

電話を切ったあと、事務所で一人、冷めたコーヒーを飲みながら考えました。
「一人社長」は、誰にも責任を転嫁できません。 自分の「うっかり」を止めてくれる上司もいなければ、ミスをカバーしてくれる事務員もいない。 プロとして現場に立つ以上、忙しさは言い訳にならないことを痛感しました。

自分の中に「意地悪な上司」を飼う

それ以来、私は重説を作る際、自分の中に「自分を徹底的に疑う、最高に性格の悪い上司」を一人飼うようにしています。

「本当にこの道路は公道か?」「この配管は他人の敷地を通っていないか?」「この法務局の言葉を鵜呑みにしていいのか?」

同業の皆さんも、ふとした瞬間に「あ、これ大丈夫だろ」と思うことがあるはずです。 でも、その「大丈夫」の中にこそ、一人社長を奈落の底に突き落とす可能性がある小さな亀裂が隠れています。

肩の力を抜いて仕事をするのは大事ですが、印鑑をいただくその瞬間までは誰よりも臆病で、誰よりも疑り深い。 それが、不動産会社を一人で背負う最低限の「礼儀」なのかもしれません。

……もう一度だけ公図を拡大して見直してみませんか?
皆さんも、どうぞ「数センチの死に地」にはお気をつけて。

最後に…

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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